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旅から戻って [癌と経過]

 道案内の息子のスケジュールに合わせ、予定より一日短縮した旅だった。帰国便を待つ空港で、両替を入れた財布が綺麗に空になった。硬貨一枚すら残さなかった。
 帰国すぐ、お土産を持って母と妹に会いに行った。入院日が迫り、さすがにもう話さないわけにはいかなくなっていた。いいニュースのあとに悪いニュースを告げ、空気が変わったのをそのままに、そそくさと現地を後にした(笑)

 帰国後一旦空にした同じスーツケースに、今度は入院用品を詰めた。そう、これはすぐに帰る旅。私は元気になってもう一度ここに帰るのだ。

 指示された日の午後一番に入院手続きをした。建てられて間もない入院病棟は、テレビドラマに見るような清潔さだった。病棟を仕切るドアを通り、ナースセンターで名前を告げると、バーコードのついたアイデンティティバンドが手首に付けられた。「退院時まで外さないでください」というものらしい。とうとう人にもバーコードがつくようになったのねと思いながら病室へ向かう。

 はるか昔に入院したころ用意した「洗面具」「貸しテレビの契約」「付添い用簡易ベッド」などは過去の遺物だった。完全看護で原則付添いはなし。ベッド周りはすっきりとコンパクトにシステム化されて、小さな金庫まで付いていた。なによりの違いは、ベッドを囲むカーテンが常に引かれた状態だったことだ。短期間の入院とはいえ、お喋りのできる人がいる方がよかろうと思ったので大部屋を希望したのに、これは大きな誤算だった。「プライバシーがあってないのが入院患者」という常識は過去のものだった。(入院中、誰ひとり、カーテンが全開されることはついぞなかった。)

 ベッドが決まり、荷解きが済むころには、看護師さん、麻酔医、担当医、担当医と共に執刀にあたってくださる部長先生が、入れ代わり立ち代わり来られた。医師や看護師さんと患者とのコミュニケーションは、患者同士のそれとは違って多かった。「〇〇さ~~ん!」とカーテンの間からにこやかに顔を見せる女医さんは、告知をした時とは別人のようで、軽症の友人がたまたま勤務先に入院したかのように振舞ってくださっていた。

 その日、その他に特別何かをしていたのだろうか。決して楽しいわけではないので、同行した家族と何を話したか、よく覚えていない。いつの間にかひとりになっていた。早めの軽い夕食をとり、あとはベッドでひとり静かに夜を待つ。手術に不安はない。余計なことは考えず、起こったことと考えたこと感じたことは、今後何か役に立つかもしれないので書き留めるようにしよう。そう、それだけでいい。

 そして明日は手術。
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二人旅 [癌と経過]

結論から言うと、旅は楽しかった。

海外から戻ったばかりの息子は「パスポートスタンプラリーのようだ」と言いながら、一昨日降り立ったばかりの関西国際空港を泳ぐように歩いていく。ジャイロ機能が壊れていると言われている私ひとり、久しぶりの海外旅行とくれば、きっと飛行機に乗り遅れていただろう。関西国際空港は広い。

初の台湾では、お約束のように故宮博物院に行き、夜市に行き、初回の観光客は行かなさそうなお店で揚げパンと熱い豆乳を口にした。息子の友人と合流し、地元で有名な飲茶のお店に行き、淡水という海辺の地を案内してもらった。

ホテルに戻ると、思いがけなくヨーロッパの娘が連絡をよこし、台湾でスカイプ通話することになった。心配と強がりとが複雑に入り混じった娘の顔は、海外暮らしで少し大人になったようだった。国際電話が高額で慌ただしく必要最小限だけ話した事や、手紙が届くのに少なくとも一週間はかかるために話題が噛み合わなかったのは遠い昔のようだ。
息子は私の体調を気遣いつつ、異国での安全に気を配りつつよくやってくれた。一人旅の次は母を守る旅。甘えん坊はうんと大人になっていた。

気がかりの種は探せばどこにでも落ちている。だからといって拾わなくていい。
いつまでも子。でも子供じゃない。負うた子に教えられ導かれ。
時代はどんどん変わっていく。

親の役割は終わったのだと知る旅だった。

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調べる 調べない

 告知と同時に、病院からは治療に関する冊子を手渡されていた。

 こういうものがあるということは、患者がそのくらい多いという事なのだろう。しかし読むのはまだいい。今しなければならないことはなんだ!?それを考え、行動に移すことの方が重要だった。
 ここから先は精密検査、手術、放射線投射、ホルモン療法とスケジュールは決まっている。レールは敷かれた。先ずは3週間後の手術。術後はしばらく動けまい。退院したあとは放射線治療がはじまる。温存療法とセットになっているということで、私の場合は週に5日を5週間連続投射が決まっている。放射線治療の副作用は人其々だというし、これもいくら考えてもしょうがない。

医師から腫瘤の大きさは聞いていた。2㎝が一つの区切りというが、私の場合はそれには満たないものだった。リンパ節への転移はどうだろう。手術の際に切開し細胞を検査に回すということだったな。それまではわからないということだ。仮に転移していてもステージは2である。転移していなければステージ1。
5年後の生存率は96.63%。

 ここまで調べて、以降、私は情報をあえて遮断した。

 ほんの少し調べるだけで、同時に様々な正確な情報とは言いきれぬものが目に飛び込んできたからだ。マンモによる被曝。細胞診で癌細胞が体に散る。放射線治療であらたな癌が生まれる等々。
 それが事実かどうかなど、知る由もない。マンモは受けたし、細胞診もした。過去には戻れないし放射線治療はまだ始まっていない。でもこれを断るつもりはない。
医療機関が公示している数値。エビデンス。今はそれだけでいい。データは発表する側の都合に良いように「見せられる」ものだとはいうが、それを疑い始めたらきりがない。
 
 我が家の様子をいつも塀越しに覗き見する隣人は、いつもにもまして慌ただしく出入りを繰り返す我が家の様子を、暗がりから亡霊のように覗いていた。これまでは不快感をもって見ていたが、今はそれすら惜しい。

「余計なことは考えない」

 母と妹に告げることは保留にして、関係先には連絡は済んだ。精密検査の日も決まった。入院に必要なものも揃えた。思っていた場所とは違ったものの海外旅行の手続きもした。

 今に集中すること、目標を作ること、そして思い切りと少しのお金があれば、限られた時間の中でこれだけのことが出来るのだ。なのに私は今まで何をしてきたのか。無用なことばかりに時間やエネルギーを棄てていたのではないか。

冊子.jpg

目の前から追いやったもののテーブルの隅には冊子を置いたまま、台所に立って私は初めて悔し泣きをした。

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数日あれば2 [癌と経過]

台湾には友人がいるよ。今たしか国にいるはず。」

パソコン画面を見つめていると、息子が突然言い出した。

すぐさま連絡を取り合った青年二人。台湾で会うことになった。

つまり、急遽親子二人の旅になったわけである。

とはいえ、ツアーはどこも締め切られた後で、ホテルの空室状況も[×]印ばかり。さあどうする。空港ロビーでホームレスか?そもそも座席はあるのか?

これ以上のことは出来ないと、とりあえず眠り、翌日旅行社で直接かけあうことにした。

翌朝足早に向かった旅行社では、さすがに餅は餅屋というところで、出発日間際ではあったものの希望駅から徒歩圏のホテルに部屋が見つかった。
どこに泊まるかより、先ずは飛行機の確保が先に立つので調べてもらうと、なんと座席は残り二席とのこと。悲鳴のように「とにかく押えて!!」というと、担当の若いお姉さんはカウンター後方のパソコンにひとっとび。最後の2席を確保できた。瞬殺である。

ふとした瞬間に自分の置かれている状況は頭をよぎるけれど、慌ただしくゴリ押しでも事を進めると、その間は目の前のことに集中できるものだ。特に今回のような縛りがあると、何とか突破しようと頭脳も体もフル回転させられるものである。文字通り「窮すれば通ず」。

保険やらWi-Fiやらの支払いをすませ、帰り道でリムジンバスを予約した。次の診察日、担当医に「〇日から〇日まで台湾に行ってきます。入院日前には戻ります。」と伝えたら、「はい。台湾いいですねぇ。」と返事が返ってきた。

よし、大丈夫。
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数日あれば [癌と経過]

 春になれば、娘の住むヨーローッパを旅するつもりだった。見たい彫刻があった。触れたい景色があった。パスポートが切れていないか確認し、4月にするかそれとも5月にしようか、どのくらい滞在しようか。考えるのは楽しい時間だった。
でも生身の体は機械のようにはいかない。修理が終われば即元通りというわけにはいかないのだ。手術治療になれば今年の長旅は無理だろう。良くなったら、体調が戻ったらまたいつか・・。
 そして、旅はいつ来るともわからない先に持ち越されてしまった。


 でも、具体的に進んでもいなかった「春になれば」と、溜息まじりの嘲笑にも似た「いつか」の話の違いはどこにあるというのか。具体的に何の動きもないまだ来ない先の話という意味では、どちらも大差ないのだ。
 入院そして手術。その後に続く一連の治療スケジュール。「いつか」ではない現実が突き付けられている今、その日までの毎日がクリアになった。普段なら何気なく予定を書き込むだけの壁掛けカレンダーの枡が、厚みを伴う時間という板になった気がした。

 何かしなくては。ここに刻印せねば。

 全身の精密検査はけっこう堪えるかも知れない。検査の翌日は休息日としよう。手術はこの日だから、前日には入院手続きのはず。
 そんな風に日にちを絞っていくと、入院前に数日の空白が生まれた。何をしてもいい自由時間が可視化した。
私はパソコンを開いた。
 これだけあれば、欧州旅行は無理でも国内なら大丈夫だ。手術後は温泉は無理だし、今のうちに外湯めぐりもいいかもしれない。それならと、九州の温泉地帯を巡るプランを先ず考えた。音楽の盛んな福岡を経由して戻るのはどうだろう。
 ところが、何せ予約するにも直前。スケジュールは強硬。移動距離も思ったより長く、いろいろと組み合わせを変えてもうまくいかない。
 これはダメ出しをされているのか?と思い始めた時に、ふと台湾の情報が飛び込んできた。日程は十分。ただし、ツアーはどれも締め切られた後。当たり前と言えば当たり前だろう。これはもう、個人旅行で行くしかないか。言葉もわからず、思い付きでいく個人旅行。果たして無事に行けるのか、そして期日までにちゃんと帰ってこれるのか?こんな状態では気を遣わせるに違いないので、友人を誘うわけにもいかない。そもそも私のフットワークの軽さは折り紙付きで、普段ですら付き合いきれないのに、こんな直前の誘いに乗ってくれる友人は皆無だろう。
 そんなこんなで「行く!」とは決めたものの、次の一歩が出ないままパソコンの前でフリーズする私。

告げる告げない  [癌と経過]

 帰宅後、家族に結果を告げた。仕事や学業で家を離れた子供達にも連絡をした。忙しいだろうからとメールで告げたら、すぐに電話が鳴った。時差のある海外からも、既読と同時に返信が来た。
 幾つかの連絡先に電話やメールで事情を説明し、お詫びと共にしばらくの空席を伝えた。
同世代の友人たちにも告げた。もしかして検査から遠のいていたら、これをきっかけに検診に行ってくれたらという思いからだった。
 同じ病から立ち直った友人には一番先に伝えた。彼女の声が一番に聞きたかった。彼女が闘病中、私はどれほどの思いやりを持って彼女に接していただろうか。もしかしたら知らず知らずのうちに無神経な言動を取ってはいなかっただろうか。わが身になってやっと彼女の気持ちに添えたような気がした。

「乳癌になっちゃった・・・。」

 メールの文字から、彼女の綺麗な明るい声が響いてきた。
「大丈夫よ。お守り送るわね。」
 彼女がわざわざ足を運び願掛けしてくれたというお守りは間もなく届き、以来ずっと私のそばにある。


 あちこち速攻で連絡をしたにもかかわらず、検査結果を待っていた妹には連絡しなかった。告げないことが返事だった。妹が知れば母に伝わる。母がどれほどショックを受けるかを思うと、おいそれと話すことは出来なかった。いつ言おう。ずっと黙っているわけにはいかない。精密検査の結果が揃った時?入院日?術後?まさかね。


「告げる」或いは「告げない」

事実は一つなのに、なんと難しい事か。
 特に今回のようなステージでは、知識さえあれば冷静に対応できるレベルなのだ。心配なのはわかる。しかしそれは多くの場合、告知を受けた本人ではなく聞いた側の不安を刺激されたことによるものなのだ。告げたら最後、病名が独り歩きする。

「頼りにしているのに」
「あなたがいなくなったら、私はこれから先どうすればいいの」
病気のステージも高い生存率も、説明をしたところで無駄である。
 自分の感情に飲み込まれてしまう人を、そこから引き上げるエネルギーは私にはない。今一番大変なのは、当事者である私なのだ。
 自分の精神的な負担を増やすことは一切やめよう。

 そうして私はギリギリまで告げずにおこうと決めた。


祇園祭 ミュージアムコンサート [ライブ]

祇園祭に併せて ミュージアムコンサートが開催されました。場所は 京都文化博物館。こちらは元日本銀行京都支店だったとか。(どうも銀行に縁がある・・・)

素敵な建物でした。

bunnpaku.jpg

今回、私は京都で長く演奏活動を続けておられるビッグバンド「new sharp hard orchestra」の一員として出演の機会を得ました。

new sharp.jpg撮影 大塚英亀氏)

本当に楽しかった。

もう少し早く機会はあったのですが、体調の完全回復を待って、今回出演させていただく運びになりました。じっくりと体を治したのはとても良かった。
準備に時間をかけること、一曲、一節にかける情熱、そして何といっても客席と一体になって楽しむこと。そんなあれこれが集約されたステージでした。
ビッグバンドの初出演、そして音楽活動の再始動。良い再スタートを切れたと思います。


京都の中高生が若いエネルギーで演奏する音、我々中高年の熟成した音。沢山の音楽好きの方々に囲まれて、音楽に満ち満ちた暑く熱い一日。
落ちていた糸屑までト音記号でした。(笑)

toonnkigou.jpg

ラ.ペッシュ [ぶらぶら]

 決して湿っぽい記事にしているつもりはありませんが、かといって連載するのもなんだかなぁと思いますので、ちょっとここらで違う記事というか生地のお話。

ラ.ペッシュのモンブラン

ra pessyu.jpg
cake 2.jpg

箱を開けると まるで毛糸玉のような様相。
栗の渋みが少々入った 甘みを抑えたペースト。ひんやりした触感のクリーム。底の生地はサクサクの綿飴みたい。何より食べ応えのあるその量。

以前に頂いて、とってもおいしかったのに写真をアップしておりませんでした。
ごちそうさまでした。またお願いします(笑)
確か、暑い季節には販売を停止しておられますので、次に食することが出来るのは多分秋になってから。
ラ.ペッシュの紹介はこちら http://tabelog.com/nara/A2905/A290501/29004292/



発見3 [癌と経過]

細胞診の診断結果は「悪性」だった。

家族の同行がなくてよかった。己を横に置いて、家族の受けるショックにも対処せねばならなかっただろう。そうすれば医師の説明を聞く際にきっと隙が出来ただろう。一人だったお陰で、自分の事だけを考えればよかったのは幸いだった。


 ここまでの検査では、乳房表面からは小さな粒としか思えなかった腫瘤だったが、今回3Dで見せられた映像では、腫瘤は胞を破り乳房深部にむけて浸潤し始めているのが確認できた。血流やリンパに乗ると転移の可能性がある。ホルモン受容体のみ陽性のため抗がん剤投与はなされない。抗がん剤の大変さは身近に知っている。私の年齢と体力では回復に長い時間がかかったであろう。これが不要というのは大きな救いだった。その後も淡々と説明が続けられ、私は黙って聞いていた。既に治療のスケジュールは決まっており、私はそのレールに乗って運ばれていくだけなのだ。

 引き続き告げられた手術日は その日より三週間後であった。感情が途切れたまま聞いていた頭の隅に、小さな疑問符が立った。私は尋ねた。

「先生、手術まで日数があるという事は「初期」ですか?」

「はい。」

間髪入れず力強く担当医は仰った。

あぁ、早期発見なのだ。高確率で助かるのだ。

漂う気持ちに錨がおりた。

 手術は患部の摘出と、リンパ節転移の有無を調べるために腕の付け根付近の切開があるので都合二か所を切るという。その場でリンパへの転移が見つかればリンパ節ごと切除。のちの切除部位の精密検査で転移が見つかれば、再度手術になるという。乳房を切ることは惜しくない。少しでも存命率の高い方でお願いしたいと前のめりで全摘を望んだが、今回のケースでは生存率は「変わりなし」ということだった。それなら、術後の負担が少ない方がいいかも知れない。自ら言い出しながら迷い始めた私にドクターは、「次回、ご家族を交えて説明する日があります。その日までに決めておいてくださいね。」と猶予をくださった。(実際には,最初にドクターの仰ったように温存で行われた。)


 手術までにいくつかの精密検査があるので、その予約を済ませ、術後必要な患部保護ベルトを購入すると病院を後にした。ひとり駐車場に戻り、時系列でしなければならないことを頭の中に並べ、エンジンをかけた。することは沢山あったが、私は何よりも先に美容院に行き髪を切った。抗がん剤は使わないので副作用による脱毛はないとはわかってはいたのだが。
 今から思うと、これから始まる治療に対する「覚悟」だったのだろう。
 行きつけの美容院の鏡に映る、強張った己の顔がそれを物語っていた。


半年ぶりに歌います。 [スケジュール]

祇園祭山鉾巡行の日、文化博物館の別館ホールで歌います。[カラオケ][るんるん][黒ハート]
JAZZのビッグバンド、ニューシャープハードオーケストラ。[ムード]〓〓?〓[カラオケ]の一員として、今回出演させて頂ける運びとなりました??[黒ハート][黒ハート]??
【祇園祭ミュージアムコンサート
■ 7月17日(月)  出演時間 15:30~
13:00~ MOMONGA
13:50~ 京都桃山中学校吹奏楽部
14:40~ 京都廣学館高等学校吹奏楽部
15:30~ ニューシャープハードオーケストラ
16:20~ 満月堂
17:10~ The Juke BOX
イベントは2日間行われていて、様々なジャンル音楽が奏でられます。
7月16日(日) 7月17日(月・祝)
開場12:30 開演13:00
<入場無料>
●京都文化博物館 別館ホール
京都市中京区三条高倉
別館ホールは、国の重要文化財の旧日本銀行京都支店の建物。
歴史ある建造物で音楽を楽しむ祇園祭に、皆様どうぞお越しくださいませ。(羽衣さん記事より一部転載。ありがとうございます[わーい(嬉しい顔)]
京都文化博物館のHPはこちら。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_gallery_hall/exhi_hall/
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