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 告知と同時に、病院からは治療に関する冊子を手渡されていた。

 こういうものがあるということは、患者がそのくらい多いという事なのだろう。しかし読むのはまだいい。今しなければならないことはなんだ!?それを考え、行動に移すことの方が重要だった。
 ここから先は精密検査、手術、放射線投射、ホルモン療法とスケジュールは決まっている。レールは敷かれた。先ずは3週間後の手術。術後はしばらく動けまい。退院したあとは放射線治療がはじまる。温存療法とセットになっているということで、私の場合は週に5日を5週間連続投射が決まっている。放射線治療の副作用は人其々だというし、これもいくら考えてもしょうがない。

医師から腫瘤の大きさは聞いていた。2㎝が一つの区切りというが、私の場合はそれには満たないものだった。リンパ節への転移はどうだろう。手術の際に切開し細胞を検査に回すということだったな。それまではわからないということだ。仮に転移していてもステージは2である。転移していなければステージ1。
5年後の生存率は96.63%。

 ここまで調べて、以降、私は情報をあえて遮断した。

 ほんの少し調べるだけで、同時に様々な正確な情報とは言いきれぬものが目に飛び込んできたからだ。マンモによる被曝。細胞診で癌細胞が体に散る。放射線治療であらたな癌が生まれる等々。
 それが事実かどうかなど、知る由もない。マンモは受けたし、細胞診もした。過去には戻れないし放射線治療はまだ始まっていない。でもこれを断るつもりはない。
医療機関が公示している数値。エビデンス。今はそれだけでいい。データは発表する側の都合に良いように「見せられる」ものだとはいうが、それを疑い始めたらきりがない。
 
 我が家の様子をいつも塀越しに覗き見する隣人は、いつもにもまして慌ただしく出入りを繰り返す我が家の様子を、暗がりから亡霊のように覗いていた。これまでは不快感をもって見ていたが、今はそれすら惜しい。

「余計なことは考えない」

 母と妹に告げることは保留にして、関係先には連絡は済んだ。精密検査の日も決まった。入院に必要なものも揃えた。思っていた場所とは違ったものの海外旅行の手続きもした。

 今に集中すること、目標を作ること、そして思い切りと少しのお金があれば、限られた時間の中でこれだけのことが出来るのだ。なのに私は今まで何をしてきたのか。無用なことばかりに時間やエネルギーを棄てていたのではないか。

冊子.jpg

目の前から追いやったもののテーブルの隅には冊子を置いたまま、台所に立って私は初めて悔し泣きをした。

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