So-net無料ブログ作成
検索選択
2017年08月| 2017年09月 |- ブログトップ

放射線治療 初旬 [癌と経過]

 毎日ほぼ定刻に受付を済ませる。放射線科のドクターのお顔を拝んでから照射室に向かう。
「どうですか?」
「はい、別に何とも。」
「最初のうちはそんな感じですね。では頑張ってください。」
これから何がどうなるというのだろう。考えても仕方がない。小さな手書きのカレンダーは二枚。開始日と終了予定日が書かれている。治療のない土日には赤いバッテン。この用紙の最終予定日まで、私は只々通うのみなのだ。

 診察室から出て受付を通り、角を曲がって廊下の突き当り。検査技師さんのおられる所に声をかけ、テレビの前で順番を待つ。面白くない民放が流れていたのでチャンネルを変えたら、いきなり砂嵐になって慌てる。どうやら他のチャンネル設定がないようだ。
 名前を呼ばれて入った治療室には、いつもジャズが流れていた。希望すればほかの曲にもしてくださるそうで、落語でもOKと仰っていたけれど、笑ったりしても大丈夫なんだろうか。一本まるまる聴けるならともかく、オチが聞けないとフラストレーションがたまりそうだな。
治療台に乗り、腕を固定させる。光線が身体に引かれたマジックのラインと重なる。細かく調整されて体の位置が決まると、技師の方々が退出される。間もなく

ビーーー・・・

という音が聞こえる。照射音なのだろうか、照射を知らせる音なのだろうか。嫌な音だった。ちなみに、五週間の間、この音にはいちども慣れることがなかった。叫びだしたくなるのを抑えるためにはどうしたらいいか。いろいろ考えて、照射時間をBGMの拍数と小節数で割り出そうとしてみたり、心臓は何回打つだろうかと数えてみたり・・・という虚しい行為に及んだりもした。だからといって時間も回数も減るわけではない。胸式呼吸だと照射位置がずれはしないかと、腹式呼吸にしてみたりもした。

 照射一回当たり十数分のために、毎日一時間かけて病院に行き、一時間かけて帰る。最初のうちは治療の影響はなく、照射後は暇だった。病院を出ると、そのままドライブしてはランチだの買い物だのをしていたのだが・・・
じわじわと変化は現れた。
nice!(0)  コメント(0) 

古墳の上に立つ [ぶらぶら]

 まるでスカイダイビングをしているかのような図です。
bird`seye view.jpg

眼下に見えるは、卑弥呼の墓と推察されている「箸墓古墳」。黒塚古墳横に建設されている展示館にありました。すぐ横の黒塚古墳は整備されていて、見学することは出来ます。ところが、一歩踏み込もうとしたら、急な腹痛に襲われて叶わず。きっとダメって言われたんだわと、引き下がることにしました。
空の上からなら許して頂けるかも。竜の目線ってこんな感じ?
nice!(0)  コメント(0) 

続いて放射線治療 [癌と経過]

 退院したのもつかの間、数日後には外来に再上陸。オペ室での姿とは打って変わって、やはり先生は軽やかで明るかった。手術痕は綺麗にくっついていて翌週には抜糸ができるそうだ。そして次週からは、放射線科での治療が始まるという。なのでここで乳腺外科の先生とはしばしお別れ。しかしながら大病院はいろいろな科と設備があって助かる。

 治療の合間を縫って、学生時代の友人達と食事をすることになった。無事生還を喜んでくれる旧友の存在はありがたかった。
でも、
「私は胸が小さいから乳癌とは無縁かと思ってるんだけど。そうとは言えないのかしら。」
とか、
健康診断を受けたら、結果待ちの間が不安で不安で・・だから受けるのは怖いわ・・」
とか言う人もいて、己の医療に対する考え方とのギャップに驚いた。私が検診を受けるのは、何もなければそれでよし、万が一何か見つかれば早期対応ができるから。無用な不安、遅きに失してことを大きくしないためだ。時間は巻き戻しできない。

 検査に対する意識の違いを知ると同時に、個人事業主や会社員の妻でない人は、健康診断自体受ける機会が少ないことも目から鱗だった。公的機関からの受診票は、受けなかったからと言って連絡が来ることもなく、忙しさにかまけているうちにいつの間にか期限が過ぎていたりする。「受けなきゃとは思っているんだけどね。」が、いつの間にか病状が進行している理由の一つなのだろうか。

 ともかく、楽しい夜だった。友人達と久しぶりに集い、お酒も少しいただいて元気を取り戻した。あとは時間が薬か。でも、明日予定していたイベントはキャンセルしよう。病気発覚前に申し込みも支払いも済ませていたイベントだけど、敢えてやめておこう。疲れをためないように。体がSOSを発する前に。

 
 翌週からいよいよ未知の放射線治療が開始された。先ずはこの治療についての説明があり、続いてCT検査となる。照射位置のマーキングをするための3D画像が撮られるようだ。
 放射線技師さんが二人以上ついて、看護師さんも最初はその場におられた。技師さんたちが男性だから、女性の看護師さんがいてくださるのだろうか?まぁ、半裸体で、自分で動くことは禁止され、時に持ち上げられたり捻られたりしながら、技師さんの顔が生身のすぐそばにあるのは正直緊張した。

 初回照射日はそんなこんなで数十分身動きが出来なかった。同部位に連続して照射するため、患部とその周りには入念に印がつけられていた。消えない様にずれない様に、バッテンの所にはシールが貼られる。動いてはいけないと言われると余計にムズムズするもので、唯一動かしても何も言われない足首を動かして、気を紛らわせていたww。
 五週間の治療期間の途中で減量したら、ボディのサイズが変わるだろうな、そうしたら照射部位も変わるのかな。その時は再度測定し直すのかしら(結局そういう嬉しい事態は起こらなかったが)。俎板の上の鯉というよりは、横断歩道の舗装をされているアスファルトってこんな気分だろうな。もしアスファルトに意識があるとしたらだけど。
取り留めもなく浮かんでくる考えに、何があってもおちゃらけている楽天的な自分を顧みる。ちょっとは客観的に周りを観察してみるか。身体に線を引く色は、青だの黒だの、これって何か決め事があるのかな。マーキング用の特殊インクなのかな。と技師さんの胸ポケット一杯に差してあるペンを見ると

マッキー・・・普通のマジックなんですね・・。

照射部位の計算に一日猶予が必要というので、実際には翌々日から照射開始。
 
nice!(0)  コメント(0) 

手術2 [癌と経過]

 手術終了は、予定時間を少し超えたらしい。 ぼんやりと意識が戻りつつあるなかベッドに移されたのを覚えている。意識がクリアになると同時に私は右手を左の脇の下に伸ばした。

「・・あった。」

「手術中にリンパ節転移が見つかれば切除します」と聞いていた脇には、手術前と同じくらいの皮膚の感覚があった。
転移はなかったのだ。

 部屋に戻ってからは、30分後 1時間後 2時間後・・・と、することが決まっていた。
足首を動かす
体を少し起こす
ベッドから足をおろす、それによって血圧の変化がないかが一つのヤマ。
次はトイレまで歩く

 少しでも早く原状に戻すことが回復にとって良いというのが今の医療の常識だ。ここまで順調。一晩スムーズに超えられることが次のステージ。同室の方達は手術当夜は激しい嘔吐に見舞われて、一晩中何度も看護師さんのお世話になっておられたが、わたしはそれもなく静かに夜を過ごした。とはいえ、翌日食後のトレイを配膳室に運ぶという簡単なことが、まだまだ厳しかったのも事実だった。
 お見舞いは全てお断りしていたので、来るのは家族と妹だけ。心配性の母が姿を見せないのを訝しく思ったが、何かあったとしても私には現状なにも出来ないし、それ以上考えるのは止めにした。(案の定であったがここに書くのはやめておこう。)

トレイを返しに行く足取りは、回を重ねる毎しっかりしたものとなり、院内のカフェに珈琲を飲みに行けるようになった。リハビリも順調だった。センチネルリンパ節生検のためにリンパ節の切開はしてあるので、多少の不自由はあったが。

 そんなふうにしているうちに退院の許可がおりて、六日後退院。入院時ぴっちりしていたジーンズの腿は緩々になっていた。



 
nice!(1)  コメント(0) 

2017年08月|2017年09月 |- ブログトップ